fc2ブログ

敗戦70年「7」国境を超えた人情。


1945年11末、カピヨーワ駅からトラック輸送で、吹雪の中をギードロという所に着いた。馴れない猛烈な吹雪と寒気の続く中で、兵隊は皆弱っていた。吹雪で夕食の黒パンが届かないので、兵隊を民家に分散し、そこで夕食をとらせるというまであった。私は女性2人と男の子の三人家族で、犬が一匹いた、家に案内された。男の働き手がいないのは、戦争の余波をやはり受けている家族のように思われた。いつもの馬糞のやうな黒パンよりは、少々ましな黒パンであった。床の蓋を上げてニンジンを取り出し、ナイフの背で皮をしごいて、ぶつキリにして食べろと言った。野菜不足の私には、大変ありがたい栄養源であり、大変うまかつた。硬く圧縮された蒙古茶のようなものを、ナイフで器用に使ってきざみ、椀に入れてくれた。牛乳も砂糖もある。こんなご馳走は1ケ月みたことも、口にしたことも無かった。砂糖を牛乳に入れようすると、牛乳がまずくなるから止めろ、お茶に入れろと手伝ってくれた。
室内の照明は薄暗かったが、家族を交えた温かい、こんな明るい雰囲気の中で贅沢な夕食を戴けるなど、夢にも思っていなかった。後から思うと、シベリア抑留中、この恵まれた夕餉が、後にも先にも唯一の機会であった。私に何歳なのかとか、父や母が心配しているだろうとか、盛んに話しかけてくれた。温かい雰囲気の中で、人間に生き返る事が出来たひとときであった。
朝、腰の曲がった老婆がバケツ一杯のふかした馬鈴薯を重そうに運んできた。皆で食べくれと言うのだった。湯気の立つ馬鈴薯を分け合って頂戴した。こんな美味しい馬鈴薯は生まれて初めてであった。彼らロシア人にとって、年間を通じての大切な食糧である事は、後でロシアの食糧事情を知って貴重なものだとつくづく思わされた。まして雪深い冬季のそれは、命と引き換えのような物であった。爺さんが「そのうちに日本人がこの部落へ上がってくるから、馬鈴薯を用意して食べさせてやってくれ、殆ど腹を空かせていると思う」と妻である老婆に頼んだと言うのであった。爺さんも来たいのだが、身体の具合が悪く寝ているので、よろしくとのことだった。
爺さんはかって、かって戦争のおり、捕虜として広島で過ごした。その時に日本人から大変親切にして貰った「恩」があるとゆうのであった。1人の男が、牛の肉を煮て、湯気だらけのまま抱えこんできた、昨夜に衛正兵が渡した薬が効いて、娘が回復したお礼だった。密殺の牛の肉であろうが、味には変わりはなかった。1ケ月以上も口にしなかった、動物性蛋白質を、皆で分け合って、大事に大事に噛んだ。誰も彼も、いつまで噛んでいた。藤森さん
カテゴリは「敗戦70年」を新設した。棋楽
2015-08-26(Wed)
 

コメントの投稿


プロフィール

棋楽

Author:棋楽
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ
FC2カウンター
ブログ内検索