fc2ブログ

敗戦70年・「10」力つきた兵隊。


同所は採金作業所であった。到着間もなくであり、病弱者も相当出ているので2~3日間の休養がほしいと意見具申が出されたが聞き入れられず「作業せよ」との命令がだされた。収容所から約500メートル程の所の急斜面を上ると坑道があった。坑道内は雨滴が多く一度入坑してくると全身ずぶ濡れとなる。寒い季節にこの作業は大変なものであった。背中におぶって運ぶ鉱石は、わずかであったが、50メートル下の選鉱所に運ぶのであるが、1日に何回も繰り返すのだった。作業が終わって収容所に着くころには、疲れとひもじさで倒れそうになるのをじつと耐えたものである。
帰ってからぬれた被服をかわかすのにまたひと苦労であった。ドラム缶に煙突つけた通称「オンドル」と呼んでいた暖房装置であったが、1舎に1個で、しかも常時使用していなかつた。作業終了後、門に入る時各自1本あて白樺の生木が渡され、それがその夜の「まき」だった。30数名の宿舎ではこれだけでは一晩中焚くこともできず、夜中になると1本も残らない状況であったが、この間に被服を乾かさなければならなかつた。・・半乾きの衣類のまま暖房のない板の間に毛布1枚と外套だけではとても寝られるものではなかった。睡眠も充分取れないのに、翌日は作業が待っていた。どんな頑強な者でも身体が持つはずもなく、毎日のように病人が続出した。診断に行けば「ずるい」と言われ、受け付けてもらえず、労働の強要が続けられた。そのうち弱り切った者が次から次へとこの世を去って行った。余りにも死亡者が続出、病人も多発したので能率があがらず、たの作業につくことになった、この間40~50名が死亡した。入所し1月ほど過ぎたある日「21年1月中旬」、週番を命ぜられて、収容所巡視中に炊事場に立ち寄ったところ、一人の若者が飯盒をいだいて長椅子に腰をかけ、後ろの板壁に寄りかかっているのを見た、私は食事を取りに来て休んでいるのだろうと思った、所内を一巡して再度、炊事場に行った、先ほどの若者が同じ姿勢でいたので、近寄り、肩に手をかけて、ゆり動かしたところ、座ったままの姿勢で横に倒れてしまった。死んでいたのである。作業が終わり疲れ切って炊事場まで夕食をもらいにきて、混み合っていたので、休んで座った時が生命の終わりだったのだろう。そんな簡単に死ぬとは思われないかも知れないが、これが真実であつた。その他風呂へ行って風呂場でい生命を絶った人もいた。私は多くの死者を見てきたが、あの若者の姿は今も脳裏に浮かぶ。故郷の肉親との再会を願いつつ、異国に地で果てた、多くの戦友の冥福を祈るしかない。井関さん・・
敗戦70年を初めて、読んだ人は必ず①から閲覧してください。棋楽
2015-09-16(Wed)
 

コメントの投稿


プロフィール

棋楽

Author:棋楽
FC2ブログへようこそ!

月別アーカイブ
FC2カウンター
ブログ内検索