敗戦70年「12」・シベリア抑留者の証言。

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身体を張って死地を脱出「杉山さん」 富士山に雪が積もった見る度に思い出されるのがあのトランスワールである。凍土の地で飢えと寒さに加えて重労働の辛い毎日であり痩せ衰えて行く体となり、多くの戦友が栄養失調となって倒れ息を引き取っていった戦友達の冥福をお祈りします。私は体に自信があったが食糧の少ないのには勝てず衰弱していき此の侭では死ぬと思った。ソ連では凍傷か外傷でないと休ませて貰えないので何かし思案していた処、シラミに刺された左膝下を汚い爪で掻いたところ、赤く腫れあがっり化膿してきた。これだと思い痛いのを我慢して化膿を促進させてから医務室に行き診断「女医」の結果休む事が出来た。運が良いのか、努力の甲斐があったのか、3月上旬に衰弱者約40名と一緒にアカバン送りとなり山をおりた。ここでも捕虜としての惨めな待遇には変わりはなかったがトランスワールより遥かに良かった。中略・・5月19日無事に夢にも見た祖国、舞鶴港に上陸する事ができた。文字通り身体を張っての賭けに成功したが、その時の傷跡が今でもハッキリ残っており、見る度にあの当時を思い出す。

除雪作業で命をつなぐ「今井さん」3ケ月の貨車輸送のあとシベリア鉄道の一寒村に降ろされた。中略・猛吹雪をついて漸く到着した収容所は雪に埋もれた廃屋で、薪も食糧も無かった。もっとも辛かったのはパン3キロを30人で分配し、塩水だけで野菜の全く入っていないスープを分け合って辛うじて命を保った。シベリアにいる間で一番わるかった。入浴は20年9月18日から翌年1月15日まで全くなかったので全員がシラミに悩まされ疥癬がまん延した。金山の労働はきつく、坑内でぬれた衣服を乾かす薪もなく、栄養失調でバタバタと倒れていった。苦しい毎日の中で下の町まで除雪作業に出かけるのは嬉しいことであった。20名程が一隊となって、歩哨2名に付き添われて、二泊三日程度の予定で出掛ける、歩哨はのんびりしていて、夜は20畳ほどの一室に私達を入れて置いて、自分らはダンスに出かける・・その留守をいいことにして、コッソリと町中の民家に出かける。中略・・私はシベリアきてはじめて乞食を体験した。乞食はまず民家へ「ドラスチェ・こんにちは」と言って入って行く。チェを言葉のあとにつけると敬語になるのだそうだ。そして空腹を訴えるいう手順だ。ロシア人の婦人はすべて個人的には親切で同情をしめしてくれる。壁に家族の写真が良く掲げてある。その中の若者を指さして、ドイツと戦って死んだと話だす。こちらが同情の色を示すと、彼女らは涙を流す。それをみはらかって、私達は、空腹を訴えると効果は覿面「てきめん」である。早速パンやスープの残りものを出してくれる。中には馬鈴薯をつぶして油でいためたものまで出てくる。彼女達はドイツは非常に憎んでいるが、日本人には好意的である。ドイツと戦って1000万人のロシア人が戦死している、どの家に行っても婦人は多いが男子は老人と子供がほとんどで、若い男は戦争の負傷者が多い、ドイツと戦ったせいだろう。或る日某伍長と少し小奇麗な家があったので乞食に入った。お定まりのようにパン スープ 馬鈴薯などを出してくれた。その時にソ連将校が入ってきた。私達は殺されるかと思い全く観念してしまった。しかしそのソ連将校は「食べたら早く帰れ」と言っただけだった。もし性格の良くない軍人だったらどうなったであろうと思うと、背筋に寒い物が走った。中略
トランスワールの収容所の死者を年齢別にみると、20歳未満の年少者 40歳前後 30歳前後 25歳当たりの青年となる。生きのびる為にも要領が大切である。少々体裁「ていさい」の悪い乞食でもやらねば駄目だとほとほと痛感した。
入所して1ケ月が経って、私は20名と地獄谷を去って、ギートロ伐採地に行く幸運を得た、伐採の作業は慣れるにしたがって楽になり、ロシア人のマダム達も私達に全く憎しみを持っていなかった。21年6月ギートロを下り、チェナゴルカの炭鉱や地上作業をした。22年6月に舞鶴に上陸した。敗戦70年を初めて読む人は①から閲覧してください。
28日にシベリア抑留で死亡された方々の慰霊蔡が開催されていた。棋楽


2015-09-30(Wed)
 

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抑留生活 

過酷なシベリア抑留生活を、顔を見知った方から実体験でお聞きするのは初めてなので、非常な感動を覚えました。
本当にごくろうさまでした。よくぞ生きてかえられたものと思います。また、今までロシア人に良い印象が持てなかったのが、個人としてはよい人たちだったりするのが分かって認識を少しあらためました。ありがとうございます。
2015-10-01 10:30 | norisanz | URL   [ 編集 ]

 

私は79歳で空襲で逃げた事は覚えていますが抑留者ではありません。
この本は抑留され、運よく帰国した、会社の上司に貰った本です。在職中は当時のことをよく聞かされました。「20年前に逝去されました」
書かれている事は間違いなく、その人達の体験でしょう。原爆 国内無差別爆撃 沖縄はじめ、多くの島での玉砕。特攻等で多くの方々が、悲惨な目にあっています。平和な時代に生きた我々は、自分だけでも真面目に生きたいですね。
2015-10-01 13:24 |  | URL   [ 編集 ]

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