敗戦70年「13」シベリア抑留者の手記。


辛うじて生還、沢口さん。昭和21年が明けて私も長谷川少尉の班に入り、金山の作業に出るようになった。最初の日は試掘の坑道にはいった。しばらく歩いて喉が渇いたので、側をチョロチョロ流れている水を手で汲んで喉の渇きを癒やしたところ、数分後に腹痛を覚え下痢の症状になった。しまったと思ったが、病状が進むようになった。中略・・下痢が段々ひどくなり腰掛ていたところ、そこにワゴン車を押してきて、あけ損ね横倒しとなった。手伝いたいが腹の具合いが悪くじっとしていた。案の定、ソ連兵が大声で゛「アフチェル プロホラボ―ター」と怒鳴られたが、私は腹が悪く下痢をしているとジェスチャーで訴えポルノイ「病人」と言ったが、彼は病人は働かせていないと、私の名前を聞き、不機嫌な顔で第三坑道へ降りていった。中略・・・2月に入ってからと思うが毎日作業が終わると、カイラー「片ツルハシ」を受け取って帰る。月が煌々と照り、山肌は凍りついて青白く輝き、はるか彼方よりカチンカチンと墓を掘る音が響いてくる。寒空に背筋が冷たくなり、なんとも言うぬ寂しさが込み上げてきた。宿舎に帰るや否や、墓掘りの使役だ。雪を2メートル程跳ね上げ、更に60センチ×60センチ×2メートルの穴を掘るのは大変なことであった。墓掘りの途中戦友がカイラーを持ったまま穴に倒れこんで、冷たくなっていた。今迄掘つていたのに自分で自分の墓穴を掘っていたのだ。余りにも悲しいことである。明日は我が身と身震いがした。作業を終え休む間もなく墓掘りで元気な者も段々衰弱していった。ある朝作業出発前に16の死体を埋葬せよと命ぜられた。しかたなくバラックの死体置場に行ったが、皆どす黒く、毛髪もなく全く氏名もわからない。おまけに凍りついていてどうしようもない。スコップの先を頭と足に差し込みこじ上げると、バリバリと音がしてはがれる。それを針金でモッコ形式にして引きずるようにして運んだ。墓に埋めようとしても、手足が踏ん張ったまま凍っているので埋めることができない。歩哨が出発時間だと急がせる。止むなく誰かが手足をを折って埋めるよう言い出し、カイラーで手足を折って埋めた。全く死人に申し訳無いと思ったが。ササくれた人間の肉体だが、豚の肉となんら変わっていない。おそらく日本では誰も見たことはないだろう。
吹雪の日に不寝番が猛吹雪と言って来たので、外に出ようとしたがとても駄目で、人が出入りする穴を確保するのがやっとであった。吹雪の翌日「弱兵」が飯上げに来ないと連絡があったので、早速兵舎に行ったら、兵舎は雪に全部埋まって雪野原、これは大変と、皆と共に兵舎と思われる辺りを掘り、窓が出たので叩いたが返答が無い。入口を掘りだして中に入り、何故飯上げに来ないのかと言ったが「飯上げに行くぐらいなら死んだほうが良い」と言われて、唖然とした。何とか元気で日本に帰るまで死んではならないと言ったが返答は無かった。ある時、某上等兵が震えているとのこと、見もと、服を着て震えている。おかしいと思いボタンを外したところ
下着をつけていない。「どうした」と聞いたら「パンと交換」したとのこと。この寒さで死んでしまうぞと言ったがどうしょうもない。鎌倉上等兵は上野の精養軒でコックをしていたと言い、良く料理の話をして皆を楽しませていた、出発の時間が来ても起きてこないので、彼を揺り動かしたが返答がない、顔に手をやったら冷たくなっていた。夜にパンを食べていたとのことだが、消化不良を起こしたのではないかと思う。2月の終わりころに、入院するようになった、丁度その日砂糖の配給があり、受け取りに行った兵隊が飯盒に半分程を一人で食べてしまい「ああ旨かった、これで死んでも良い」と言って翌日死亡した。その時私は彼は恵まれた方かも知れないと思った。中略・・金山より炭鉱に行く途中、カピョル駅で弱兵の隊と会うと、歩けず貨車に乗ることもできずにいたので、板を並べて1人ずつ皆で押し上げ貨車の中に入れてやり、無事日本に帰れるよう祈って別れた。
敗戦70年を初めて読んだ人は①より読むように、「拍手5」で継続。棋楽
2015-10-06(Tue)
 

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