福沢諭吉・研究。

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福翁自伝は明治32年6月に発刊、原文のまま。
反故「ほご」を踏みお札「ふだ」を踏む。
私の12・13歳のころと思う。兄が何か反故を揃えているところを、私がドタバタ踏んで通ったところが兄が大喝一声、コリャ待てとひどく叱りつけて、「お前は目が見えぬのか、殿さまのお名前が書いてあるではないか」とたいそうな剣幕だから「アアそうでございましたか、私は知らなんだ」と言うと「目があれば見えるはずじゃ、お名を足で踏むとはどういう心得である。臣子の道は」と何か難しいこと並べて厳しく叱るから謝らずにはいられぬ。「私がまことに悪うございましたから堪忍しい下さい」と謝まったけれども、心の中では謝りも何もせぬ。「何の事だろう、名の書いてある紙を踏んだからってかまうことはなさそうなものだ」とはなはだ不平で、それから子供心にひとり思案して、神様のお札を踏んだらどうだろうと、人気のないところで踏んでみたがなんともない。「ウムなんともない、コレヤ面白い、一歩進めて今度は便所で試みて、その時は少し怖かったが、あとでなんともない。「ソリャ見たことか」と思ったが、こればかりは母にも姉にも言わず、言えばきっと叱られるから、1人でそっと黙っていました。
ソレカラ一つも二つも年を取ればおのずから度胸もよくなつたとみえて、年寄りなどの話にする神罰冥罰「みょうばつ」は大嘘だとひとりみずから信じきって、今度は稲荷様を見てやろうと野心を起こして、近くの稲荷の社「やしろ」を覗いたら、石が入っていたので、その石を捨て、換わり石を拾って入れておき、隣家の下村という屋敷の稲荷様を開けて見ると木札で、これも捨ててしまい、平気な顔をしていると、間もなく初午になって、幟「のぼり」を立てたり太鼓を叩いたり、お神酒を上げてワイワイしているから、私はおかしい。「ばかめ、おれの入っておいた石にお神酒を上げて拝んでるとはおもしろい」とひとり嬉しがってというようなわけで、幼少の時から神様が怖いだの仏様がありがたいだのということはちょいとない。うらないまじない一切不信仰で、狐狸がつくとゆうようなことは初めからばかにして少しも信じない。子供ながらも精神はカラリとしたものでした。
福沢諭吉は日本人は誰でも好きでしょう「笑」。棋楽
2015-10-17(Sat)
 

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