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敗戦70年「16」抑留者の手記

北沢さん。昭和21年4月30日、3ケ月ぶりに地獄のトランスワールに移動になった、既に本隊おらず、もぬけのからだった。
翌日、苦労した兵舎内を見て歩いた。元炊事場にはいってみたら、奥の方に兵隊がいた。1人は立って、タライの中に立っていた。栄養失調で骨と皮になつていた。両脇り兵は、裸の兵隊を洗っていた。私に敬礼しようと思ったのか、手を離したら、裸の兵隊は支え棒を取られたように、ドーンと前に倒れた、驚いて駆け寄り起そうと思って見たら、可哀想に両足の指が凍傷で切断されていた、人間は足の指が無ければ立っていられない事を始めて知った。この身体で作業もできないし、これから先どうやって生きて行くのだろうと思うと、胸が痛んだ。我々は墓地の整理「遺体の埋め換え」に派遣されたのであった。後略。
いまだに残る唇の傷跡・桑原さん。零下30度の寒風をついて重い装具を背にして行軍が始まった、夕方、公会堂のような所に泊まる事になった時、兵隊は先を争って中にはいろうとした。私は3年前にチチハル飛行場で酷寒の野外整備をして、凍傷の恐ろしさををしつていた。部下の中に鼻や耳がハクロウ化しているのを見つけ、嫌がる兵に手拭と雪で血色が戻るまで摩擦さして宿舎にいれた。この行軍で多数の凍傷患者が出て、手足を切断した人達が相当数でた、この事は経験を生かしたささやかな効果だと思っている。中略 ある日トロッコ事故で鉱石で深く唇を切った、診療所に運ばれたが縫う糸も無く絆創膏を貼られただけだつた。衰弱した身体に回復力は無く創痕は深く唇食い込んだ儘で帰国し、75歳の今でも判然と見える。ヒゲを剃る度に理不尽な抑留、死の強制労働を思い出し怒りが込み上げてくる。私はソ連での出来事をを人に話す事は避けて来た。経験のない人に話すと誇大妄想狂か、只感情的反ソ宣伝と取られるのが嫌だった。今回同志相寄り、あるが侭、見た侭の実相を訴え、故なくして異郷に果てた戦友をともらう事は誠に意義深い事戦70年を初めて見た人は、必ず①より閲覧してください。「拍手5で継続」棋楽
2015-10-30(Fri)
 

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