オール・イン・「3」.。天野貴元・著。

 オール・インとは、カジノ用語で、有り金を全てぶち込んで勝負する大バクチの事。天野さんは高校に行かずに将棋に賭けた。
平成8年8月に奨励会試験を受験、一次試験は受験者同士で、1日3局、2日対局して3勝「現在は4勝」すれば、2次試験「奨励会員と3局指して1勝で合格「当時は必ず3局指したが現在は1勝すれば指さない」。
ともかく、こっちは5年生で小学名人戦準優勝者だ。間違っても落ちる筈はない。自信満々で乗り込んだ1日目。3連勝で一次試験を確定させるつもりだったが、両日とも2勝1敗、結局4勝2敗で一次試験を通過した。3日目の奨励会員との3番勝負は3タテの圧勝だった。「合格して良かったな、でも中学卒業までに初段になれなかったら、プロを諦めるんだぞ」と父から確かに言われたが、もちろん、僕は気にもとめていなかったが。
「3連勝で奨励会デビュー」デビュー戦の日は朝9時の対局に間に合うように、早めに家をでたが、通勤ラッシュに巻き込まれ「当時は平日が対局日」気分が悪くなり途中下車し吐いてしまった。ヤット会館についた時はフラフラだった。1局目を勝った僕は、勢いそのままに3連勝。体調不良も吹っ飛ぶ絶好のスタートを切った。「奨励会なんて、こんなもんか」相手を軽視する僕の悪い部分が早くも全開モードに入ってしまつた。・・しかしこれからは勝ったり負けたりで「こんなはずじゃないのに・・」半年も過ぎると僕は少し焦った。
こんな時に、大きな幸運が訪れた、石田九段の紹介で島九段の研究会に入れて貰ったのである。メンバーは宮田二段「現六段」と上野初段「現五段」だった「棋楽注・プロになれなかつた人が多数いたのでは」。僕が何故か真っ先に思いだすのは、「天野君。食事中に詰パラを解くのはやめましょう」・食べものに目もくれず、詰将棋に熱中していたあの頃が、今は懐かしい。
僕は5級に上がったのは、1年後の夏だつた、これほど時間が掛かるとは思わなかったが、その後2ケ月で4級に昇級。僕は気を取りなおして将棋に没頭するようになった。しかし再びスランプがやってきたのは約半年後のことだつた。2勝8敗を2回とると降級、何故か分からないが、勝てない、5級に落ちた後に、さらにこの対局に敗けると6級に落ちるところまで追い詰められた。幸いこの一番に勝って難を免れたが、こんなことでプロになれるかと、早くも気持ちが腐ってきた。・・5級に落ちた僕は1年かけてやっと4級に復帰した。この頃、僕は八王子将棋クラブに通い続けていた。奨励会員の子どもには席料を取らず、道場を使わせてくれた。ここでは奨励会の仲間となった長岡裕也五段・中村亮介五段のメンバーと対局や研究を重ねた。電車の中では行も帰りも詰将棋、疲れ果てたまま詰将棋をしていて、寝込んでしまい、きずいたたら中央線の終着駅の山梨県の大月駅だった事もあった。
一時的には足踏みはあったが、中2で1級・・・16歳、つまり高校2年生に当たる年、破竹の8連勝を決めて三段に昇段した。同期入会では2人目であった。すこし遅れて、奨励会で昇段争いをした長岡裕也も三段リーグ入りを決めた、彼は一旦高校に進学したが、三段リーグに上がると中退。自分を追い込む事により、どんなことがあってもプロになるんだという気迫があった。また同じく仲の良かった、同い年の中村恭介。奨励会入りは僕より2年遅かったが、彼は僕より数ヶ月早く三段昇段を決めており。八王子将棋クラブで育った3人はほゞ同時期にプロへの切符をかけ、ラストステージに上がったのであった。棋楽
2016-04-21(Thu)
 

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