母の生き方。

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大正3年、三重県五ヶ所生まれ、小卒で奉公に出された。
母の教え。
夜に口笛を吹くと蛇が出る。手鏡は伏せて置くこと。夜に爪を切らない事。
ミミズに小便をかけるな「チンチンが腫れる」。 当時は下水がなく、ミミズは至る所いた。
母がわたしの為にやってくれ今も覚えている事。
中学2年の時に、昼から?大雨が振り、30分もかけて傘を届けてくれた。
養成工に受験の時、母の従兄が養成工卒を聞き、宇治浦田町まで、片道5キロを徒歩で訪ねてくれた。
しかしその人は、現場の班長で人事権はない人だった。
入社後に職場の先輩が、伊勢日赤に入院したときに、「他の人の見舞いの次いでに立ち寄ったと見舞ってくれた。

三男が養成工を受ける時に、何処で調べたか知らないが、学区外の養成所長の自宅に菓子折りを持って訪問していた。
堅物の所長は菓子を受け取らなかった。もち帰った菓子は全員で食べたが、覚えて弟はいるだろうか?・・当時は菓子なんて食べた事はなかった。

このように子供たちの為に懸命に育ててくれたが、不思議な事に、兄の結婚式にも、一人娘の結婚式には出なかった、いや誰の結婚式にも、母や父の兄弟が、叔父とか叔母として参列してくれていても・・・理由を聞く前に亡くなったつてしまった。

右の写真の金婚式の時が一番嬉しかったと聞いた。
子どもが孫を連れて全員参加したのが、母の子育てが間違いでない証明でしょう。

子ども全員が、就職して、父とふたり暮らしなっても、近所の人とのおしゃべりが趣味だった。
老後は幸せだったと思う。
父が平成4年4月4日に亡くなった後、近所に住む兄夫婦に見守られ、一人暮らししていたが、
前日に兄夫婦送られて自宅に入ったが、翌日6年8月4日の朝に亡くなったいた。

葬儀に参列してくれてた、母の友人は「ときえさんは、幸せでしたよ、毎日お兄さん夫婦が顔を出していましたよ」と教えてくれました。
来年も同じ文章をアップしたいと思っています。棋楽
2017-08-04(Fri)
 

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