悲しい年賀状と嬉しかった年賀状。「1」
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◎ 元旦に届いた年賀状に今年を最後にして下さいと文言が入った人がいました、この人は高卒でかって部下でもあり、退職する4年程前には上司になったので、私は心残りなく退職出来ました。班長は4名いましたが、現場作業は得意でも事務管理はやりたくない班長ばかりでした。そんな仕事を35年位我慢していました。定年10年後の誕生日に会社を訪問した時は専務になっていて、1時間以上も時間を割いてくれた人です。昭和21年生まれですから74歳です。
◎ 電気架線金物 亜鉛メッキ 鍛造 熱処理の4部門で大正時代の創立で得意先も大企業が多く、多い時は社員は300名いました。しかし14年前に訪ねた時は鍛造部門は廃止、熱処理も半分になっていました。時々ネットでみていましたが、社員は50名になっていました。年賀状で7月に破産したのを知りネットを見ると社員は26名になっていました。
◎ 退職日は6月14日ですが5月31日まての有給休暇残して14日までに社長に2時間位時間を取るように、総務課長に届けておいたのですが、14日の昼になっても連絡が無く、午後に社長室に行くと「午後は出社しない」との事、傍にいた総務課長に「連絡した?」「すみません、わすれていました」・・・翌日に社長が現場事務所にきて「植田君は挨拶に来なかった」と連絡がありましたがのが心残りでした。10年後に訪ねた時にそれを思いだし、会長で元気ですと聞き、自宅に電話してその当時の事を話しました。この話は14年前にアップしました。会長は昭和6年生まれ? 亡くなったいたほうが幸福ですね。この人には会長が亡くなっても連絡しないでくださいと連絡して別れたのが最後になりました。棋楽
2021-01-05(Tue)
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