父の命日。

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平成4年4月4日、28年前で棋楽が56歳の時だった。金婚式は昭和58年、父73歳、棋楽47歳「昭和11年生まれ」。全員の集合写真はこれ一枚だが、弟達の嫁の若い事、ブログを読んでいる、甥や姪にに父の事を知らせる。
父の祖父の嫁は藤堂家33万石?の納戸役200石取りの武士の娘で、祖父は郷士で相当な資産家だったらしいが、相場に失敗して、資産を失い、父は小卒で左官職に、職人として一流だった、戦後大阪に出稼ぎにていた「賃金が良かった」・・ある時「馬の足を友人と1本ずつ買った事がある」と言ったことがあった、「今で言う一口馬主かな」・・ギャンブルに金をつぎ込み、母えの送金が遅れて、母が苦労して、我々子どもが貧乏な生活をした原因だつたような気がする。それが遺伝した息子が3人いる、次男・三男と六男だ。
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葬儀に使われた遺影と、位牌が、何故か棋楽宅にある、だれも引き取らなかった、棋楽と一緒に灰になる。
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毎年この日は父の事を描く、昨年は桜をアップしてあった。今年も桜を追加する。棋楽
2016-04-04(Mon)
 

兄「81歳」天国に。

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2013年6月16日の兄弟会の直前に倒れて、寝たきりになっていた。歯痛はなく意識はあったが、食事も摂れず、テレビも新聞も見られない2年半は長かったろう「涙」、最後に会ったのは11月14日の同窓会の日に、早く伊勢市に行き、四男と一緒に見舞った。その時の兄の最初の言葉は「岡田君はどうした?」だつた。「兄が元気な頃に墓で毎朝あっていた棋楽の同級生」・・岡田君は、2回も一緒にみまっていれていた、伊勢市の近くにいながら一度も見舞はなかつた肉親にも会いたかったに違いない。19日に姪から危篤の知らせがあり、棋楽以外の肉親は集まったようだが、意識の無くなった兄には会う気はなかった、21日に死亡、22日が通夜だったが、その日は愛岐会だった。兄は両親の法事は愛岐会の日程が決まってから、法事の日を決めてくれていたから参列しなしても許してくれただろう。
兄は遺言で祭壇と遺影、連絡する人も決めてあった。甥や姪の名はなかったようだ、香典の1万円は通夜に来た弟達が決めた?。これが前例になり、棋楽が死ねば、確実に香典が入る。12月20日の法事は等観寺「両親の法要もここだった、僧侶も同じ」昔は小学校の校庭と地続きだったが、家と道路が割り込んでいる、早修「そうしゅう」公園の奥に高い建物が寺、戦前からの建物て冷暖房はない。
この日は納骨があり、全員が墓まで行って、石碑に花をそなえ水をかけていたが、棋楽だけはやらなかった。生きているうちに見舞うべきであって、死んでからでは遅い。兄を見舞たのは六回だが、別れるときに、涙交じりで「ありがとう、ありがとう」と言ってくれた、その表情と声は今でも忘れない「涙」 合掌 棋楽
2016-01-01(Fri)
 

母の思い出。

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母に内職を手伝え、弟の守りをせよとは、良く言われたが勉強せよとは言われたことはなかった。
中学2年の時にリーレー競争の選手が嫌で、1週間も、母・子で共謀して、学校で一番厳しい担任を騙した事があった、その条件が内職を手伝う事だった。
養成工と入った会社に、「いとこ」が会社にいたので約4キロの道を歩いて頼みに行ってくれた、しかし人事権はない現場の長だった。
職場の先輩が日赤に入院した時に、口実を作り見舞ってくれた事も覚えている。
厳しい母親であったので、7人の子供は真面目に育った。
洗濯機も水道ない時代に、9人分の洗濯物を、タライにバケツて水を運び「約2メートル」洗ってくれていた。
平成6年8月4日に前日は兄夫婦に送られて、元気だったが、その夜に78歳で天国に、脳溢血だつたが、熱中症だったも?
娘を抱いた母、集合写真は金婚式の孫達と母、抱かれた末弟の娘も今は二児の母親になっている。子供が成長した晩年は幸せだつたと思うが、ちょっと早すぎた、これも天命だろう。棋楽
2015-08-03(Mon)
 

命の恩人。

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今日で満79歳になった、中卒て゜4つの会社を転職したが、自分のやりたいように生きれた事には満足し、支えてくれた全ての方々に感謝しています。今までに、アメリカの空襲と伊勢湾台風の時に、生命の危機が二度あった事はアップした事はあった。
しかし、母が語った、一家心中未遂の事は棋楽しか知らない。
戦後はどの家庭でも貧しい生活だったが、棋楽家は特別だつた、6年生の時に学校給食が始まったが、給食費が払えずに、学年で一人だけ、自宅に芋粥を食べに帰ったみじめさ、4年生の弟は、担任の先生か゜生活保護家庭なみの手続きをしてくれて食べていた。中年生だった兄には、弁当分だけご飯を炊いていた。父は大阪に出稼ぎ「大坂の方が左官の賃金が良かった?」これが原因のような気がする、父が生活費を送ってこなかったらしく、近所の商店で母が泣きながら電話をしているを何度も見ている。「普通の家庭には電話はない時代」 兄と交代で、父の姉夫婦の和傘屋に、借金の申し込みに行かされた「母は自分ではよういかなかった」・兄も棋楽も貸してくれるまで、玄関をテコでも動かなかったらしい。しかし返済に行った記憶はない。所得税が払えずに税務署の差し押さえを受けてタンスや柱と時計に紙を貼られていた。
自殺未遂の話を母に聞いたのは、いつだった忘れたが、ある時、今までで一番嬉しくかつたのいつだったと聞いた時に、即座に子供たちが金婚式を開いてくれたこと「写真右上・昭和58年」だった。母は兄の結婚式も一人娘の結婚式も、誰の結婚式も出ていない、義理堅い母にしては不思議なことだが聞きそびれしました。自殺未遂は四男が産まれた「昭和21年」の翌年ぐらいらしかつた。生活費もなく、送金してこない父を恨んで?・・左の隣家は戦争で一人息子を亡くした、藤田さん夫婦が住んでいたが、棋楽がイタズラをして押入れに入れられた時に何時も助けてくれたやさしい奥さんだつた。母はその奥さんに「死にたい」と言ったそうだが、人に打ち明ける時は、止めてほしいとの意思表示だった?子供思いの母が、殺す筈はなかったと思うが、衝動的ということもある、その時に藤田さんが、援助してくれなかったら、6男も7男も生まれていなく、棋楽家は滅亡していた。当時の人たちは人情に厚く、その人たちに助けられたのは忘れてはいないが、全ての人か゜もうこの世にいない、合掌。
兄の結婚式の当日、自宅の屋上だが、7人が写ったのはこの写真だけ。金婚式で赤ん坊を抱いている6男も、2人のお爺さんになり幸福に暮らしている。棋楽
2015-06-14(Sun)
 

母の教え。


金銭は親子でも他人「娘夫婦がマンションを買った時に金を貸したが証文を取った」 兄弟は他人の始まり「兄が寝たきりになって3年になるが、伊勢近辺に住む弟妹夫婦と、甥や姪は一度も見舞いに行ってない」 
「本を跨ぐな」 「夜に爪を切るな」 「ミミズに小便をかけるな、チンチンが腫れる」
母は大正3年、現 ・志摩市五ケ所町の貧乏漁師の娘、小学校を卒業後、伊勢市の産婦人科医院に女中奉公に出される、当時は殆どの子供は小学校だけらしい。
棋楽家に残る母の若い時の写真、戦地にいる父に送る為に、早修小学校の正門の左で、市が撮影? 抱かれいる妹は18年生まれ、昭和19年の夏・棋楽は2年生。4人の子供を残して戦場に行く父と、残された母の気持ちの思いは、言葉には表せない。父は運よく病気で除隊、21年 25年 27年に弟が生まれる。平成6年8月4日、78歳でひと晩で急死、今の棋楽より若かった「涙」。
この写真と両親の位牌と遺影は棋楽と一緒に灰になる、母の日。棋楽
2015-05-10(Sun)
 

父の命日。

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平成4年4月4日、もう23年も経つ、83歳だった。左官としては一流の腕前で、三男と四男は弟子、趣味は釣り、ハゼ釣りの名人だった。家では縦の物を横にもしないと、母にボロクソに言われても、馬の耳にに念仏で、聞き流して、喧嘩をしたのは見た事は無く、上げ膳・据え膳で、父の方が一枚上手だった。
軍隊にも行ったが、病気で除隊して命拾い、戦友は皆死んだとだけ聞いただけ、7人の子どもは真面目に育ったから、晩年は幸せだった。葬儀の当日は宮川堤の桜も満開だった。両親の位牌は、棋楽が一緒に持って行く、位牌の後ろの写真は父では無く、棋楽の遺影である。何時も見ている位牌であるが、今日は特別に桜を添えた。棋楽
2015-04-04(Sat)
 

姪の結婚式。

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「奥」の弟の娘の結婚式、教会での結婚式は初めてだった、讃美歌を生まれて初めて歌った「笑」仲人のいない、友人が多くて現代流の披露宴は、芸能人の披露宴のようだった。88歳の祖父が最新式のカメラで撮りまくっていた、参列者の8割は携帯やスマホで、讃美歌を歌って間を除いて写真を撮っていた。バージンロードを歩く新婦の笑顔は素晴らしいでしょう。
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姪が趣味としていた、ベリーダンスの友人の踊りも盛り上げた、全員が若くて美人、1人先生がいます。
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親族は礼服を着るのが普通だが、もうネクタイの結び方も忘れたので平服とする、「奥」もそれに合わせる。義弟夫婦と2人の子どもと棋楽夫婦、新郎方の人々は、あの2人は誰?と思ったかも。
新郎は3人兄弟の長男、スポツーマンで精悍な感じの青年、だいぶ飲まされているのに?最後の挨拶もきちんと決めた。
新郎新婦に贈る言葉・・「対立した時は男性が一歩引く」これが家庭円満の秘訣です。
披露宴は名古屋出雲殿、職員の接客態度も良く、進行の見事さに、司会を務めて人に、誰が脚本を画いたと、聞いたほど、素晴らしい披露宴でした。棋楽「キラク」
2014-11-01(Sat)
 

棋楽は心が暖かいから手も温かい。

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兄を見舞て、最後に握手したときの言葉、兄の眼に涙があった、そんな言葉は浮かぶほど回復していて、手にも力があった。25日が兄の80歳の誕生日だった、本当は25日に行ききたかったのだが・・・・

病室に入った時に看護師さんがいて、「何分ほど?」聞いたら「1時間でも良いです」・・一緒に行った友人の顔を見てすごく喜んでくれた、子供の時にプロ野球を見に行ったとき、外野席に入る金もなく、交代で松の木に登ってみた事なども覚えていた、友人も、その試合を見に行ったそうだった、兄は阪神ファンで、今阪神の監督は誰?と友人に聞いていた、数年前に、棋楽は落合ファンだと言ったことも覚えていた。少し前に愛知県県に住む、末弟夫婦が見舞いにきてくれたが、「奥さんはふつくらとした美人になっいいたとも言ったが、末弟の嫁は若い時から美人だったので今ごろ気が付くとは遅いと言ってやった。入院している病院に車なら30分で行けるところに4人が住んでいるが、2人は顔を出さないらしい弟や妹もいるのが腹が立つ、兄が喜んでくれたのが最高にうれはかった。・・気楽は心が暖かいから手も温かい。この名文句を心にきざんで帰路に就く、もっと長くいたがったが、25日にはラジオのナマ出演があるため、と名鉄のラッシュを避けために早めに帰る、往復とも特急に乗らず、4時には開明に着いた。友人にも手土産はもっていかない、兄にも見舞金も置いてこなかった、顔を出すのが最高だと思っている。棋楽
2014-07-25(Fri)
 

婿の両親。

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2人に会うのは愛知万博以来で9年ぶり、大阪に住んでいて、富士山の見たいとの希望で伊豆で一泊、昨夜は娘の家に泊まり、昼食を6人でする約束だった、本来なら棋楽が名古屋に行くべきだったが、一宮こども将棋教室の為に一宮市まで来てくれる。今日の大蔵省はムコ殿であった、今は財務省か。棋楽
2014-04-27(Sun)
 

娘夫婦の気まぐれ海外旅行紀「最終回」

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バトル三国の3カ国目エストニアの首都、ダーリンに来ました。ここも歴史地区が世界遺産です。歩いて廻るのに、丁度良い広さです。ここが観光する最後の街です。明日フェリーでフィルランドのヘルシンキに渡り、夕方飛行機で帰国します。到着予定は土曜日の午前中です。
メールの写真をアップするのは、箇条書きにしても出来なく、8回はサポート会社に教わりました、記憶力の衰えを痛感しましたが、娘に送られた写真は必ずアップすると約束した事は守りました。歳はとっても、その意欲が一番大切な事ですね。棋楽
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2014-02-28(Fri)
 

娘夫婦の気まぐれ海外旅行紀「10」

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バルト三国の二国目、ライヴァルの首都リーガーです。世界遺産である、歴史地区を半日のんぶり散策しました。・・棋楽
2014-02-27(Thu)
 

娘夫婦の気まぐれ海外旅行紀「9」

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サンクトペテルブルグから寝台列車で、13時間乗ってバルト三国の一番南にあるリトアニアにきました、列車はゆれが少なく「ガタン」て音もほとんどなく、良く寝れました。十字架の丘に行きました、墓地ではなく、世界中の十字架を残していく場所で、大小無数の十字架が立ち並ぶさまは、まさに壮観でした。・・・棋楽
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2014-02-27(Thu)
 

娘夫婦の気まぐれ海外旅行紀「8」

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サンクトペテルブルグ2日目はクロンシュタットの海の大聖堂と血の上救世主教会へ。街中にソチのオリンピックのボードがありました。クレムリンはロシア連邦大統領府は、元老院といいます。大統領官邸とは違うそうです。・・棋楽
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2014-02-27(Thu)
 

娘夫婦の気まぐれ海外旅行紀「7」

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モスクワから特急で4時間のサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館は世界三大美術館の一つと言われて、一番の目的でした。
娘は「奥」の遺伝子を受けたようだ、昔 倉敷に行った時は棋楽は大山記念館に「奥」は大原美術館?今まで博物館や美術館に金を払ってまで入ったことはない、ツァー旅行に繰み込まれている時は入ってはいるが・・・・棋楽
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2014-02-25(Tue)
 

娘夫婦の気まぐれ海外旅行紀「6」

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クレムリンの外壁です、クレムリンには大統領官邸とロシア連邦大統領府が入っています、「どうちがう?」
明日はサンクトべテルブルグに行きます、昔のレーニングラーンドです。

人影もまばらですね、日本なら首相官邸?・・・・棋楽
2014-02-24(Mon)
 
プロフィール

棋楽

Author:棋楽
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